嵐山 祗王寺
2007年 11月 21日
清盛の寵愛を受けていた、祗王とその妹、母、それプラス、はたまた違う愛人が住んでいた処。
ま、ぶっちゃけそういうことでしょう?笑
正しくはこういうエピソード↓
… 祗王は平清盛の寵愛を受けていましたが、その前に唄の上手な加賀の国の白拍子、仏御前が現われます。その美しい声、妖艶な舞に清盛の心は仏御前に移ってしまいました。
世の無情を知らされた祗王は、妹の祗女と母の3人で往生院(今の祗王寺)に入って尼になり世を捨て仏門に入りました。この時、祗王21歳、祗女19歳、母・刀自45歳でした。
その後、祗王の不幸を思うにつれ、世の無常を感じた17歳の仏御前も頭を丸めて祗王の庵を訪ねて尼となったそうです。こうして女4人は、念仏三昧の一生を静かに終えたといいます。
清盛かァ~あんま興味ないけど~と思っていたけど、紅葉が綺麗そうなので、行ってきました。
場所は、二尊院から左へ折れて少し山のようになってるところのどんつきにあります。
苔むしてて、しっとりしています。
あ、それと、ここでは御朱印は直に書いてもらえませんでした。
先に書いてあるものを売ってました。
忙しい観光地ではたま~にこういうのに出会うんですが(東福寺、宇治上神社)ここでもか・・・といったかんじでした。
まァ、書く人が書いてるんだから一緒っちゃ~一緒なんだろうけど、自分のもってる御朱印帳に書いてもらうというのがいいんですよね~~~。
紙切れ(といっては失礼ですが)は、嫌。
どうしても自分が御朱印帳を忘れてしまったから仕方なく・・・ってのならいいんだけど、門前払いというのが気に食わない。
なら、本日はかけるものが留守にしてまして・・・のほうが誠意があるように思う。
受け付けで、「書いてもらえないんですか?」って聞いたら、
「これがあるわよ!」ホレ!とヒラヒラおばちゃんがひらつかせてたんだけど、ありがたみがないような気分になり、お断りしました。
こんなこと言ったら駄目かもしれないけど、御朱印も商売道具。
そんな感じに見受けるんですよね・・・。
奈良の興福寺、東大寺はその点しっかりしてます。
どんなに人が並んでも、ちゃんと書いてくれますもん。
お水取りのある日にもですよ?
ちゃんと、書いてくれました。
先にお参りしててくださいっていって、帰る頃にはちゃんとできあがってるし。
ここんとこの心意気が違うような気がするな~京都は。
え?くる観光客の数が違うって?
いやいや。
そうじゃないんだってば。
よく考えてみてくださいよ。
そうそう。
東福寺はゴム印だと300円。
手書きだと500円という違いもあったよ。
これを商売といわずして、なんという?
え?
(そんな客は願い下げだと言われそうだけど、言わしてもらいますわ!!!)
って、御朱印のハナシばっかりしてすみませんね。
満開の紅葉とはいかなかったけど、苔のきれいなお庭でしたよ。
狭いですけど、趣のあるお寺でした。
あ~それとね、切符きってたおばちゃんは態度があまりよくなかったです。
めんどくさいんでしょうけどね、一期一会。
私らみたいに地元の客ならいいけど、遠くから来てる人もたくさんいるんだかから、いい思い出持って帰ってもらいましょうや。
寺の中や庭のよさよりも、思い出に残るのって人とのコミだったりするんでね。
中身がしょぼくても、コミがよければ好印象になることだってあるんだから。
また、反対もありえるんだから、観光地の切符きりさん、頑張ってください。
印象の良かったお寺とかって、今でも覚えてたりしますしね。
by hime_religioso
| 2007-11-21 23:29
| ♪チャリンコ 嵐山・琵琶湖